日本人は、とても我慢強い民族だと言われています。
確かに、日本においては、強欲は人格を否定され、慎ましさは美しいという 風潮がヒシヒシと感じられます。
・・・日本社会には「我慢は美徳」といった価値観が強く根付いており、生きている内に その価値観を無意識のままにインストールさせられています。
より多くの苦しみに耐え、より多くの忍耐を重ね、やりたいことをやらずに一生懸命 仕事に打ち込む・・・、その姿が美しいと。
そう、日本人は努力すること自体に大きな価値を見出してしまっているのです。
しかし、そのような意識は 努力の本質すら曇らせる ”身を滅ぼす思考”であると言わざると得ません。
努力の本質は、「自分の為に 結果を出すこと」です。
断じて、「搾取されること」ではないはずです。
”我慢は美徳”で得をするのは、国家と企業
日本国民の間に「我慢は美徳」の価値観が根付いていれば、当然 国民は正当な権利を求めるときも、罪悪感を感じ 強く主張できなくなってしまいます。
このような状況で得をするのは、日本国家と企業です。
国や企業からしたら、自分の正当な権利をロクに主張せず 我慢してくれたほうが扱いやすく、搾取もしやすいのです。
更に、職場では 協調性という名の同調圧力の下、お互いに監視しあい 自分の意見を主張しづらい空気を作らせています。
そうすると、やがて人は 自分の頭で物事の本質を考えずに、盲目的に集団に従い、行動をするようになります。
このように、自分の頭で考えない人間は 企業や国からしたら操りやすく とても搾取しやすいのです。
もちろん、そんな我慢を強制される環境にいたら 人間は心にストレスを抱えつづけることになります。
しかし、そのストレスの捌け口の手段として 横行しているのが、職場での陰湿なイジメです。
ストレスフルな我慢の中で労働に従事する職場で、満面の笑みで陰口を叩いたり 他人のミスを見つけたら嬉々とした表情でそれを嘲笑・吹聴する・・・。
我慢強く 礼儀正しいハズの日本人が、一切の罪悪感なく、まるで娯楽のように行っているのが そんな幼稚なイジメなのです。
そして、そのイジメを受ける者は やがて心を病み、そしていつかは退職していくでしょう。
企業からしたら、その人が抜けた穴は 壊れた部品を交換するように 新しい人材を補充してしまえば それで事足ります。企業にとって、突出した能力を持たない従業員は、代用が効く消耗品でしかないのです。
もし、多くの人間が「我慢は美徳ではない」と考え、自分の頭で考え 正当な権利を主張し始めたら、国や企業は 搾取しづらいですし、管理に手間がかかります。
なので、”我慢は美徳”という風潮は、国や企業が 自分達に都合が良いだけの理論を押し付けた上で、作り上げているモノに過ぎないのです。
「我慢は、デメリットを回避するための手段」だと明確に自覚する
国や企業も、自分より立場の強いアメリカや大企業に対しては、理不尽な要求をされても、我慢をしています。
しかし、自分より立場の弱い国民・労働者に対しては、サービス残業をさせたり ガンガン重税を課したり 年金の受給年齢を引き上げたりと、やりたい放題です。
結局、我慢は美しくも尊くもなく、ただ”我慢しないと発生するデメリット”を回避する手段でしかないのです。
多くの場合において、我慢とは、弱さの表れなのです。
”我慢”は 人生の選択肢を減らす。
”投資”は 人生の選択肢を増やす。
さて、こんなことを偉そうに書いている僕ですが、やりたい娯楽をやらずに アフィリエイト作業に没頭することも 当然あります。
行きたい場所、会いたい人、読みたいマンガ、見たい映画・・・やりたい娯楽は尽きませんが、やらずに作業をし続けることもしょっちゅうです。
しかし、これは”我慢”ではなく”投資”です。
我慢の本質は、”我慢しないと発生するデメリット”の回避です。
投資の本質は、”可能性(未来のメリット)”を買うことです。
「娯楽に費やすはずだった時間」をアフィリエイト作業に投資をすれば、いずれ何十倍、何百倍にもなって返ってくるのです。
十分な時間的余裕と、金銭的余裕が生まれれば、人生の選択肢が爆発的に増えて 人生がとても楽しくなります。
・・・あらゆる我慢をし続けて 心を殺しながら ”選択肢が閉ざされていく人生”を歩むより、投資をして未来への期待に胸を膨らませて ”選択肢を広げていく人生”を歩むほうが、絶対に楽しいはずです。