漫画界の巨匠・藤子・F・不二雄先生は、とても多くの名作を生み出しました。
「ドラえもん」を始めとして、「キテレツ大百科」「オバQ」や「パーマン」「21えもん」など、非常の多くの作品が、今も世代を超えて読み継がれているのです。
相棒である藤子不二雄A先生が、「笑ゥせぇるすまん」を始めとして ブラックで おどろおどろしい作風で知られていることもあり、藤子・F・不二雄先生は どちらかと言えば、ホワイトな作風と思われているかもしれません。
しかし、藤子・F・不二雄先生には、SF作家というべき もう一つの顔があったのです。
もう一つのライフワーク「SF短編」
藤子・F・不二雄先生の”ライフワーク”といえばやはりドラえもんでしょう。
1970年から漫画の連載が開始され 圧倒的な人気を博し、様々な形にメディアミックスされ、世代を超えて語り継がれる大名作となりました。
しかし、藤子・F・不二雄先生の”もう1つのライフワーク”ともいえるものが存在するのです。
それが、「SF短編」と呼ばれる、SF色の非常に強い 読み切り作品たちです。
こちらも、1970年頃から 青年誌を中心に読み切り形式で掲載されており、その総数は112話という数になります。
青年以上を対象とし漫画雑誌に掲載されることも多かったため、児童誌に掲載されるドラえもんよりも、表現に対する規制がありません。
そのため 人間の邪悪さなどもまざまざと表現しているため、ドラえもんやキテレツなどしか知らない人が初めて読むと 驚愕してしまうような、過激な描写がたくさん存在するのです。
僕も、始めて読んだ時はとても驚きました。
しかし、今思うと藤子・F・不二雄先生は、ドラえもんにつきまとう”児童誌の制約”から解放されて「自由な表現で、感性を爆発させる場所」として SF短編を描いていたのかな?とも思います。
つまり、「ドラえもん」と「SF短編」は、漫画家 藤子・F・不二雄先生にとって、どちらも欠かすことのできない”両輪”であったのかもしれません。
SF短編「アン子 大いに怒る (旧題:赤毛のアン子)」に、藤子・F・不二雄先生のコピーライティングが在る
そんなSF短編の中の一つに、「アン子 大いに怒る」という作品があります。
これは1974年に発表された作品なのですが、少女漫画雑誌に掲載された作品なので 過激な描写などはなく、親子で安心して読める作品です。
上記の表紙からもわかるように、エスパー(超能力者)の少女が主人公であり、念じるだけで その能力を発動できるのです。
発表から40年以上経過した今読んでも 全く色褪せず、とても楽しく読める作品です。
エスパー魔美の”原型”ともいえる作品
”超能力を使う少女を主人公とした作品”と聞き、同じく藤子・F・不二雄先生による「エスパー魔美」を連想する人も多いでしょう。
それもそのはず、「アン子 大いに怒る」は エスパー魔美の”原型”となった作品だからです。
両作品の共通点として、
・主人公の少女が赤毛で、おっちょこちょい
・外国人の魔女の血を引いている
・父親が画家
・親しい男の子がおり、良き相談相手
・マスコット的キャラのペットがいる
・なぜか母親がやたら美人
などがあげられます。
「エスパー魔美」は少年誌に掲載されていたため、ドラえもんより読者層の年齢も高めです。
なので、リアリティを追求する映画監督が 女優を拘束した上で 火をつけて撮影しようとするなど、ドラえもんに比べると かなり過激な話も多く、読み応えがあります。
また、魔美と親しい男の子である 高畑和夫が語る哲学や人生観に考えさせられることも多く、何回も読み返したくなる深みもあるのです。
未読の方は、ご一読をオススメします。
「ルビーのしたたり」の価値を極限まで高めるコピーライティング
本題に戻ります。
「アン子大いに怒る」の作中に、誠実な雰囲気の国際的ビジネスマンであり、貴族御用達の紅茶「ルビーのしたたり」への出資者を募っている男性が登場します。
彼が、アン子の父親とその友人に「ルビーのしたたり」を試飲をしてもらうときに、その男性のビジネスマンのセリフとして 秀逸なコピーライティングが登場するのです。
(※ちなみにコピーライティングとは、”読み手の心理を誘導するための、人間心理を利用した文章術”です。)
その全文を、ここに引用します。
肥料にはキャビアなども使うようです。
高温多照のアッサムでも この紅茶は、限られたごく一部の高原でしか栽培できません。
夏、満月の夜、新芽の第一葉だけが摘み取られます。
タンニンの含有量が 最も多いからです。
機械は使いません。
盛装した乙女たちが、念入りに手もみを行うのです。
発行室の燃料も紅茶です。
惜しげもなく上質の葉がくべられます。
まったく信じられない程の費用と労力をかけて「ルビーのしたたり」は作られるのです。
古くはマハラジャたちが、”権力の象徴”として これを愛用したといわれます。
後にイギリス王室に伝わり、”贅沢な料理の締めくくり”として珍重されました。
これが「ルビーのしたたり」です。
ごらんなさい、この深い深い真紅…。
ルビーを溶かし込んだような艶やかな輝き!
さ、カップをお手にとって、香りを楽しんでください。
陽光の香り、緑の風の香りがしませんか。
ほんの一滴、舌にのせてみてください。
ほのかな渋みと甘さが、”王者の威厳と慈愛”に似て、口いっぱいにひろがりませんか。
藤子・F・不二雄先生のコピーライティングの真髄は”ストーリー”
上記のコピーライティングにおいて、
「具体的に、○○という成分が 何グラム含まれていて〜」
などの”物質的な価値”に関する説明はありません。
強調されるのは、
「古来より 高貴な王族たちの御用達」
「造られる過程で、どれだけ膨大な労力と費用がかけられたのか」
という、”背景に存在する歴史=ストーリー”です。
そして、そのストーリーを聞いた人間は、「ルビーのしたたり」に対する期待値が極限まで上がり、その味わいを全身全霊で体感しようとします。
結果、いつもとは比べ物にならないほどの集中力が引き出され、全神経で味わいます。
そして、「ルビーのしたたり」の味わいを余すことなく肯定的に感じ取り、通常では考えられないほどに美味しく感じてしまうのです。
ストーリーは、”受け手が感じる 物の価値”を大きく引き上げるのです。
もちろん、その道の評論家や批評家は 公平なジャッジが求められるため、このような情報に左右されずに評価を下すことが求められます。
しかし、評論家でも批評家でもない我々は、物自体の価値と一緒に ”その背景に流れるストーリー”に思いをはせ、共に感じることができるのです。
これは、飲み物に限りません。
・高級料理なら、「一流の料理人が 世界中を渡り歩き厳選に厳選を重ねた選りすぐりの食材を、熟練した調理技術で織りなす逸品である」というストーリーを。
・芸術作品なら、「あの高名な画家が、長い年月をかけて情熱を燃やし、心血を注いで描いた至高の作品である」というストーリーを。
・映画なら、「世界的に有名な監督が、自身の映画監督人生の集大成として構想10年・制作費30億円を投じて制作した超大作である」というストーリーを・・・。
このような、背景に存在するストーリーを語ることで ”受け手が感じる 物の価値”を飛躍的に引き上げるのです。
コピーライティングも漫画も、本質的な共通点がある
藤子・F・不二雄先生は、幼少よりずっと漫画を描き続けていたのです。
そして、数々の名作を世に送り出し、日本漫画界の巨匠になったのです。
しかし、その過程で コピーライティングを学んでいたという記録はありません。
ですが、コピーライティングと漫画には、”読んでいる者を引き込む”という共通点があります。
そのため、一切 学んだことがないにも関わらず、このようなコピーライティングを書くことができたのでしょう。
僕自身も、コピーライティングを学び 実践してはいるのですが、藤子・F・不二雄先生にはまるで及びません。
なので僕は、この「ルビーのしたたり」の価値を極限まで高める”ストーリー性のあるコピーライティング”は何度読んでも惚れ惚れしてしまうのです。
超高級な紅茶・コーヒーの味を150円で楽しむ方法
映画作品でも芸術作品でも、それが生まれるまでのストーリーが語られると、それに対する評価は上がる傾向が非常に強いです。
これは、期待値を高めることにより、その対象物の長所を積極的に察知できるように、思考と感覚のベクトルが肯定的になるからです。
なので、飲み物を味わうときは味覚が鋭敏になるため、本来なら見逃してしまいそうな微細な味もしっかりと味わうことができるのです。
そして、ルビーのしたたりのコピーライティングを、キャリア数十年のプロのベテラン声優に高いお金を払い、読み上げてもらい音声化しました。
この音声を聞いて コンビニで買った150円くらいのコーヒーを飲んでみると、超高級銘柄のように 本当に美味しく感じます。
いつもは見逃していた、コクやほのかな苦味 味わい深さなどの 膨大な情報を、舌と脳が最大限 認識しようとするので、普段の何倍も美味しく感じるのです。
・・・いつもより 優雅な小休止を味わいたいと思ったときは、是非この音声を聞いてから飲んでみてください。
巨匠 藤子・F・不二雄先生の珠玉のコピーライティングを肴に、ティータイムorコーヒーブレイクを過ごしてみるのも また一興、贅沢な楽しみ方なのです。