僕は以前、派遣社員として 様々な工場で働いてきました。
僕自身 温和そうな印象を持たれる事が多い上、休憩時間も(気の合う人がいない限り)1人で過ごすことが多かったのです。
なので、他の従業員から目を付けられ ストレスをぶつけられることも、多々ありました。
こちらが我慢していると どんどん付け上がり、ストレスや仕事をおしつけ さも当然のような態度をとられたのです。
業を煮やして こっちが反論すると「悪気は無かった」という主旨のことを言われる事もありました。
・・・しかしそういう人間は”悪気が無い”のではなく”罪悪感が無い”のです。
「自分が悪いことをしている」と自覚していても、”罪悪感”を感じない人間は 沢山いる
他人に仕事や責任やストレスなどを 押し付ける迷惑な人は、罪悪感なくやっている場合が多いです。
もし、それにより本人の立場が悪くなった時、「悪気は無かった」などと言って、できるだけ立場が悪くならないように 主張してくるでしょう。
しかし、その人は「悪いことをしている」という自覚がある上で迷惑をかけて来たのです。
つまり、確固たる悪気があるのです。
無いのは、悪気ではなく”罪悪感”なのです。
罪悪感と呼ばれるモノの多くは、”自己防衛本能”から生まれている現実
他人にデメリット(仕事やストレスなど)を 押し付ける迷惑な人は、報復してこなさそうな相手を選んで実行してきます。
・物理的報復=暴力、仕事を押し付ける など
・社会的報復=解雇、降格 など
・精神的報復=嘲笑、罵詈雑言、悪評を流布する など
・・・このような報復をしてくる恐れがある相手には、罪悪感が働き あまりデメリットを押し付けようとはしません。
つまり、報復されないための”自己防衛本能”としての罪悪感なのです。
しかし、有効な報復をしてこないと判断した場合、どんどんデメリットを押し付けてくる人も、少なくないのです。
罪悪感は”共感”から生まれるものであるべき
本来、罪悪感は他人を思いやる感情であるべきです。
つまり、報復されないためではなく、相手への”共感”から生まれる罪悪感を持つべきなのです。
しかし、僕が今までの職場で関わった職場では、共感する気もまるで皆無で、ただただ多くのデメリットを押し付けようとしてくる人間が多かったのです。
プレッシャーの与え合いで神経を消耗するよりも、メリットを与え合う人間関係を
今まで 僕が勤めてきた職場では、油断していると どんどんデメリットを押し付けてくる人間がよってくるような環境でした。(強調したいので2回言いましたwww)
なので、とても神経が疲れてしまいました。
一度 目をつけられてしまうと、それを追い払っても あちらもプライドを保つために、機をうかがって再度デメリットを与えてくるのです。
本当にわずらわしく、気分が悪いので どんどん精神を病んでいきました。
身体的にも精神的にも とても負担が大きい、こんな”人間関係地獄”が何十年も続くと思うと、心底ゾッとしていたのを今でも覚えています。
しかし、自分自身で稼げるようになってからは、以前の自分がどれだけ劣悪な環境で働いていたのかを 毎日実感しています。
イヤな人間とも関わらなくてはいけない人生から 脱出できると今まで見えなかったモノが、次々と見えてくるのです。
今の 僕は、とても毎日が充実しています。